年齢: 20
性別: 男性
誕生日:3月19日
職業: 大学生っ♪
趣味: 本を読むのが好き。
自己紹介: 熊本の大学で就活戦士やってます!毎日愉快に過ごしてます!
毎日、どんな風にやれば有意義で楽しくなるのか必死に考えてます。そしてよく考えすぎてつぶれそうになってます。
誰かに褒められることができる程立派な人間じゃないけれど、誰にでも誇れるように日常を大切にしたいと思ってます。
日記を書くのって楽しいって最近思えてきた。
・mixi
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自称、読書家の僕。
そんな僕も最近はあんまり本を読みません。
まぁ、読めませんって表現が正しいかも。
面白い本と出会えたら凄く嬉しいんだけど、
そうじゃないほうが多いからね、
僕は本は買ってから読む人間だから、
なんども自分に合わない本に当たると、
財布が厳しいの、読むときは一日二、三冊くらい普通に読むからね。
それで、あまりおもしろくない本に連続で当たると買うのが億劫になるんだ。
読んでないのは時間が無い、というか、最近妙な睡魔に襲われたり、
集中力が続かなかったりするのも理由なんだけれど。
夏目漱石の「こころ」も数ページ読んでは止め、数ページ読んでは止め、の状態なんだよねぇ。
あ、その「こころ」で、すごく気になる台詞がありました。
「先生と私」で先生が私に言った言葉。
「あなたは本当に真面目なんですか」
「私は過去の因果で、人を疑り続けている。だから実はあなたも疑っている。然しどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るには余りに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたは腹の底から真面目ですか」
この『あなたはそのたった一人になれますか』って部分が特に好き。
先生に惚れちまいそうだぜ。
なんか、本当に切ないじゃない、寂しいじゃない。
そして、物凄く人間らしいじゃない。
この辺を教科書に載せたらよかったのに。
人を疑り続けているけれど、人を信じたい、そんな風な思いだよ。
孤独から、罪悪感から、解放されて十字架を下ろしたい。
そういう願いだよ。
贖い切れぬ気持ち、それでも救われたい気持ち。
友達にこの台詞が好きだと言ったら、
Kにあんなことをしたくせに我が儘だろって言うんだ。
人間って、自分に優しい生き物でしょ?
先生がKに対してあんなことをしたのは大学時代。
それから晩年に至るまで、ずっと苦しんだのだから、
もう、十分じゃない。
人間は、弱いよ。どこまでも、弱いよ。
だから、自分を守るために必死なんだ。
それは全然おかしいことじゃない。
一人では生きていけないから、
誰かと触れ合うことは当たり前のこと。
触れ合いが強くなって、強くぶつかれば、
傷つくことも、傷つけられることも仕方ないんじゃないの?
人を傷つけることは好ましいことじゃない。
でも、仕方ないことなんじゃないかな。
それを罪だと思う人は優しい人。
傷つけることは悪くない。
だけれど傷つけて、何も思わないのならそれは悪いこと。
「こころ」で先生は苦しんでるじゃない。
だからね、僕は先生が悪いとは思わないよ。
悪いのは、そんな風にしか生きれない、人間そのものなんだろうね。
個人としては、こころの在り方としては、何も悪くないんだ。
世の中にはね、何も感じない悪人もいるはずだよ。
結局ね、誰もが一人なんだよ。
だって、一人の人間として生まれたんだから。
別の個体としてあるんだから、決して交わらないもの。
でもさ、触れ合っていられるんだ。
支えあっていられるんだ。
だから、無理はしなくていいんだ。
そういう相手が、いればの話だけど。
そういうわけで、「こころ」で先生は私に縋りたかったんじゃないかな。
『あなたはそのたった一人になれますか』
って、そういうことを求める問いかけじゃない?
「こころ」、読みきったら、ちゃんと感想書いちゃおうかな。