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かうんたぁ
自己紹介
HN: 夜月(ヨヅキ)
年齢: 20
性別: 男性
誕生日:3月19日
職業: 大学生っ♪
趣味: 本を読むのが好き。
自己紹介: 熊本の大学で就活戦士やってます!毎日愉快に過ごしてます!
毎日、どんな風にやれば有意義で楽しくなるのか必死に考えてます。そしてよく考えすぎてつぶれそうになってます。
誰かに褒められることができる程立派な人間じゃないけれど、誰にでも誇れるように日常を大切にしたいと思ってます。
日記を書くのって楽しいって最近思えてきた。

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またまたお久しぶりです。
最近、また精神的に辛い事が立て続きで起こって死にかけてました。

今日は学校お休みして、福岡にいる従姉のところに行きました。
従姉は100万人に1人と言われている病気で入院しています。
なんでも、発症例が極端に少なく、現在発症している人は九州には従姉しかおらず、福岡県内では始めての発症者らしいです。
今まで、そういう病気にかかってるって言う話は聞いていたんですけど、詳しいことはよく知りませんでした。
ただ、親からは脳細胞がブドウ状になってしまい、体が動かなくなり、思考力も低下する名前もない病気、と聞いていたんですが、いい加減にも程がありました。
病名もちゃんとあり、その末尾に舞踏病とつく病気で、赤血球が棘を持ち、その棘が脳細胞に攻撃して、神経に対して正常な信号を送れなくなって、体が言う事をきかなくなって、勝手に動き出したりする病気らしいです。

本当は2月に入って僕も学校を仮卒して余裕が出来てから行く予定でした。それが一昨日の夜、話を振ってみたら僕には何にも言わないで今日行く事に変更していました。ならば、僕も学校休んで一緒に行くと言ったのですが、それはあっさり拒否されました。学校に行けと言うのです。
お見舞いに行くだけなら、また次の機会があるのだから、ちゃんと学校に行けと。僕は4月から熊本学園大学に進学して県外で一人暮らしを始めるので、そうなったら余計に機会はなくなるから今行きたいと請いました。
しかし、うちの母親は聞く耳を持ちませんでした。
なら、なぜ最初は2月だと言っていたのに、僕に何の話もなく急に今月中に行く事にしたのかと問いました。
『二月じゃ、遅いかもしれない』
その言葉の意味するところは、つまりそういうことです。
母はその前に、次の機会があると言ったのに、たった今、二月じゃ遅いかもしれないと言ったのです。僕に嘘をついてた。
僕は憤慨しました。だったら尚更、今行くべきではないかと主張したんだけど、本当に一切聞き入れてくれなかったの。子供は関係ないとか言われても、そんなに子供扱いされるほど、僕は子供じゃないよ。本当に真剣に従姉と会っておきたいって思ってる。
挙句の果てに「遊びに福岡に行くんじゃないんだよ?会ったら帰るんだよ?あんたの目的と違うでしょ?」なんて言い出して、キレた。
うちの親は僕を難病抱えた従姉そっちのけで遊びたくて福岡に行きたい人間だと思ってたみたい。それもあれだけ必死になってたのにそれを遊ぶためだと思われてたんだよ?
家族って、そういうところで一番信頼できる存在だと思ってたのに、僕の事をそんな最悪人間だって見られてたらって思うと、怒りなんて通り越して、ただ悲しくて。

次の日、学校で親との喧嘩や従姉に対する不安なんかで凄く不安定でした。必死に笑顔でいようとしたけど、ちょっとした事で暴れちゃって、一度崩壊したらもう震えが止まらなくて、授業中に泣き出しそうになるのを必死に堪えてた。
家でもあんな風に言われて、学校にいるのも不安でしかないなら、僕は一体何処に行けばいいんだろうって。
でも、どうしてだろうね。放課後、部活の時だけは落ち着いた気持ちでいられたんだよ。実際、部活の時もイライラしたり不安だったりして、周りにそれをぶつけたらどうしようって思って行くのをやめようか本気で悩んだけど、家にも帰りたくなかったし、他に行く当てもなかったから、残ってたんだけど、あんな風に安心できてたのは、本当にありがたかったっす。

それで、昨日の夜、両親と本気で話しました。
今まであんな風に激しく親に楯突いたことなんて、なかったけど、その辺本気で言い合った結果、なんとかついて着て良いと父から許可を貰いました。僕の親は何で僕がそんな何回かしか会った事もない従姉に会いたがってるのかわからないみたいだったけど、僕からしてみればその何回かで忘れられないほど優しくしてもらったし、可愛がってもらったんだもん。僕は昨日、それを初めて知ったんだけど、その従姉と僕は血の繋がりがないみたい。親からしてみればそれもあったのかもしれない、そんなの、関係ないのにね。
でも、父はその後で僕を悩ませる事を言ったんだ。
僕が本気で従姉に会いたいのはわかったけど、僕が一緒にいくことで、伯父さんが僕と従姉を比べてしまって、自分の娘はこんな風に病気で苦しんでるのに、自分の弟の子はこんなに元気で…って嫉妬の感情が何処かで生まれるんじゃないかって、それは伯父さんも人間だしそういう弱い面も持ってる。お前はそういう伯父さんの気持ちも汲み取って、それでも着いて行くんだろ?って。
それで、もし行かなくても、僕が真剣に着いてきたがってたことはちゃんと伝えるからって。
子供にはわからない事かもしれないけど、お前は大人の考えも出来ると思うから、しっかり考えろって。
それで、また、揺らいじゃったんだ。
あれほど願った従姉に会いに行く事を許してもらえたのに、また悩んじゃうんだ。
滑稽だよね。
子供扱いされたら憤りを感じるのに、大人として扱われると不安になる。
もう、一体何なんだろうね。
明日の朝までに決めろって、それまで待つって言われて。
一晩中、悶々としてました。こんな時に、いつも頼ってた人にはもう頼れないから。それでも、こんな状況でも、あんな事を言われてもあの人に頼りたいって思ってしまって、ただでさえ一杯一杯なのにそうやって自分で自分を苛めて。
けれど、行こうと思った。
確かに、伯父さんを苦しめることになるかもしれない。大人だって完璧じゃない、強いわけじゃない。そういうのは十分理解してるつもり、けどあの伯父さんはそういうことで苦しんでも、絶対に間違わない人だって信じてるし、何より僕自身が、いまここで従姉に会わなかったら後悔するって思ったから。もし行かなかったらって考えると、学校でまたイライラして荒んでる自分が、簡単に想像できたもの。

結局、夜遅くまで考え込んでたせいで寝坊して、学校に行く時間、とっくに過ぎてたから、必然的に着いて行くことにしました。
なんか、うちの親はわざと起こさなかったんじゃないかって思う。
それでね、ひとつだけ、誓いを立てました。
それは、絶対に泣かないこと。
ここまで子供でも大人でもない僕が、不安定ながらに必死に強がって決めた事。だから、絶対に泣かない。どんな風になっても最後まで強くある。そう決めたんだ。
それで、その誓いを自分だけのものにして、崩してしまわないようにって、携帯から日記に書いて車に乗り込んで出発。
そしたら、ね。日記を読んだあの人から、あんな僕の心を根こそぎ抉っていくような言葉を振りかざしたあの人から、電話が、かかってきたの。
あの言葉には触れなくて、ただ、いってらっしゃいって。
狼狽しまくってたし、車の中だから、会話は親に聞かれちゃうからって大して何も言えなかった自分が情けない…。
けれど、あの言葉がまだ残ってて自分からあの人に連絡するのは怖いし、それに大切な事に気付いちゃったから、それはもうしばらく放棄しようと思ってた気持ちだから、あの子に対して、前みたいに接する事は出来ないんだよ…。

閑話休題。
それで、高速道路に乗って福岡に。
伯父さんと合流して、九州大学病院に。病院の大きさにびっくり。
そこの神経内科の重病者を扱う部屋に。
従姉の姿を見たら、泣きたくなるだろうってずっと思ってた。
けど、それは大きな間違いだったんだ。
あの時の気持ちは言葉に出来ない。
親から聞いてたのとは全然違って、動けるし、意思の疎通もできた。
従姉は僕のことを覚えていてくれて、笑顔で出迎えてくれた。
言葉は今年に入ってから話せなくなったからって、震える手で文字盤を指差して「あ」「り」「が」「と」「う」とか「う」「れ」「し」「い」とか、本当に喜んでくれて、涙まで流して喜んでくれて。
僕が大きくなってた事とか、大学に進学が決まった事も喜んでくれて、僕もすごく嬉しかった。ぎゅって手を握って、絶対また会おうねって約束してきた。親が病室を出て行っても未練がましく握手してたのは内緒。はっきり聞き取れなかったけど、最後に「あられってて」って言われた。多分、発音とか雰囲気とかで感覚的にだけど、勝手な本当に都合の良い解釈だけど「頑張ってね」って言われた気がする。


それで、後は、帰宅。
帰ってくるときに泣き出しそうになった。
従姉は頑張って生きてた。あんな絶望の淵にいてもなお、笑顔を振りまいて前向きに生きてる。
僕より辛くて、苦しくて、寂しくて、悲しくて、怖いはずなのに、「頑張ってね」って言ってくれた。
なのに僕はちょっと位辛い事が続いたからって悲観して、厭世的になって何もかも否定的になってしまってて、生きる事が怖くて寂しく感じてきてた。
だけど、僕は全然不幸じゃない。
体だって貧血さえあれど健康体だし。
家だってそんな裕福じゃないけど、私立の大学に4年間通うお金を援助してくれる人もいる。
家族だって、今回の事でまだ信用できない感じは残ってるけど、両親ともちゃんと一緒に暮らしてるし。それこそこんな事になるまで喧嘩したって朝起きたら元通りな程度しかした事なかったし。
学校に行けば、友達もいる。
これだけあって、何が不満なものか。
僕はただ、自分の本当に欲しいもが手に入らないからって、それが歯痒くて、駄々を捏ねてただけ。ずっとずっと子供だっただけ。

例えば、自分の価値観を否定されて自問自答してしまったり。
例えば、信頼してる、大好きな人に突き放される様な言葉をぶつけられたり。
例えば、大好きな従姉のことがどうしようもないくらい心配でも。
例えば、親に理解してもらえなくても。

1ヶ月の間に、これだけの事が起こっても、それでも強く生きなくちゃいけない。

些細な悲しみで、いつまでも落ち込んでるのは情けないよね。
今まで、ずっと、情けなかった。
だから、僕は、これからは強く生きたいって思った。
うまく、言葉には出来ないけど、まっすぐ生きたい。
もう、悲観してばっかりじゃいられないもん。

後悔はしない。
残りの高校生活、
絶対泣かないで、全力で楽しみたい。
僕にはそうできるんだから、そうしなきゃ。
無駄にするなんて、勿体無いもの。

本当は、もっともっと書きたい事が沢山あったんだけど。
ブログには書ききれなくなっちゃいそうだから、ある程度抑えたんだけど、意味がわかんなくなっちゃったね。

従姉のこと、正直まだ不安だけど、
「頑張ってね」って言われちゃったし、
それでも、僕は、僕ができることを、ね。
さあ、頑張ろう。頑張って、強く生きよう。
 

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無題
そういうさ、心が安らぐ場所があるって本当にありがたいよね

会えて良かったな
プルミエ 2009/01/21(Wed)09:01:09 編集
返事
うん、本当にありがたいし、良かったって思ってるよっ。
夜月 2009/01/22(Thu)23:12:59 編集
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